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私は大学を卒業後、某企業に就職して営業マンとして働いていた時代があります。

その、働いていたころのことがきっかけで現在に至るわけでございますが・・・・

そのころのお話を少し紹介させていただきます。

時はバブルまっただ中、時代は昭和から平成に変わろうとしていたころでした

親の苦労も知らず、大学に4年間行かせてもらって

某大学の経済学部経営学科(今思えば経営の事をしっかり勉強しておけばよかった・・・)を

なんとか卒業させてもらいました。

しかし当時の私は

情けないですけど、正直あまりコレがしたい!という明確なものがなく

ただ漠然と大学の4年間を過ごし、卒業はしたものの

ほとんど『ニート』に近い状態での卒業でした。

大学4年になると同級生は、にわかに就職活動をスタートしていきます。

私もまわりと同様に就職活動を、いざ、スタート!

しかし

何から始めたらいいのか分からない私は、どんなことをするのが就職活動なのか?

さっぱり分からないままとりあえず企業から資料をとりよせ資料に目を通してみたりしていました。

(もっぱら見るのは給料の覧でしたが・・・)

そんなある日

なにやら、OB訪問というやり方があって、

OBの方がいると就職も有利になる? なんていう本当かどうかわからない噂をもとに、

まずは先輩の勤める会社にOB訪問をお願いすることにしたのです。

しかし、

結局それが、きっかけとなり、あっさり内定をもらい

私は先輩の勤める会社に無事就職することとなったのです。

会社というものがどんなものか、よく分からないまま、

入社してからどんな仕事をさせられるのかもわからないままの就職でした。

とりあえず、広島営業所の勤務で 仕事は営業でした。

営業という仕事でしたが、

とりあえず元気と体力だけは自信がありましたので、

ガッツとパワーで得意先をまわって元気に働いていました。

数年がたち仕事もわかってきて

楽しく仕事をしていた そんなある日

事件が起こったのです!

27歳の時でした

仕事中に突然いままでに感じたことのない痛みが腰を襲ったのです!

仕事が営業の仕事でしたので

販売する商品を詰めたトランクを持ち運ぶことが多く

知らないうちに腰に負担がかかっていたのです。

今までに感じたことのない激痛!

どう対処すればよいのかわかりませんでした。

とにかく痛みがひどく立っているのもままならない状態でした

しかし

仕事を多く休むわけにもいかないので

ワラをもすがる思いで、病院に掛け込みました!

(まずはやはり健康保険がきく整形外科に行きました。)

ビックリしました!!

 

みなさんも経験があるかもしれませんが、

検査はしっかりしてくれるものの、電気を当てるくらいで、

びっくりするほど何もしてくれませんでした。

どうすれば良いかわからない私は

それから病院通いの日々がはじまるのです。

整形外科はこんなとこなんだと思い

他にどこかないか電話帳を調べ(その当時はスマホが無いのでこれが便利でした)

その足で、接骨院に行きました。

しかし、ここもほとんど何もしてくれませんでした。

仕事を休めなかったので私は腰痛ベルトをガチガチにまいて

痛みどめを飲みながら仕事をしていました。

 

そのころちょうどテレビでカイロプラクティックというのを知り

骨が歪んでるから痛みがでるということを説明してました。

『骨が歪んでいるから・・・』という説明がなんとなく腑に落ちた私は

とりあえずカイロプラクティックに行って見ることにしたのです

すると、整形外科とか接骨院とかとは全く違ったアプローチで

身体の調整を始めてくれたのです。

痛みはすぐには取れませんでしたが、

整形外科や接骨院とは違う、

なんだか一所懸命調整してくれてる感じがあり嬉しかったのを覚えてます。

そんな感じで私の腰痛生活が始まるのですが、

仕事はそれなりに一生懸命頑張っていました。

10年ほど勤めたころからでしょうか・・・

少しづつ景気が悪くなり

不況のあおりか会社の業績はどんどん悪くなっていったのでした・・・。

そのころはまだリストラという言葉も聞いたことがなかった時代でした。

 

業績悪化とともに、ボーナスや昇給が悪くなり、出張所の閉鎖なども始まり

働きながら不況は感じていましたが、

まだ、そんなに危機感もなく働いていたように思います。

いよいよボーナスもなくなり、固定給もカットされ始めたころでした。

『リストラ!』

会社側も人員削減はしない話だったと思うのですが、

状況が改善しなかったので、いよいよ人員整理、早期退職を募集し始めました。

1回目のリストラの時は、50代の社員を中心に100人近く早期退職されたと思います。

2回目のリストラも1回目で退職されてなかった方などを中心にやはり、

人件費の高い方たちから辞めていかれました。

​それでも、会社の業績は下がっていき30代の私にもいよいよ声がかかってきました。

その当時すでに二人の子供がいたのですが、会社側も人員を減らさないといけないという事で

私は、退職することになったのです。

『でも、どうする・・・』

辞めるといってもどこか宛てがある訳でもなく、休憩時間には転職情報雑誌などを

むさぼり読んでいました。

最初は、やはり営業の仕事が良いと思い、営業系の仕事をさがしてみていました。

しかし、転職情報誌をみていると改めて私の知らない様々な仕事があるのに気が付きました。

 

いろいろ情報誌を買いしらべていると、『整体師』というのが目につくようになりました。

その当時私は、いろんな治療院に通っていてなんとなく整体師への憧れというのを抱いていました。

『俺にもできるかな・・・?』

この時はまだそれほど本気ではなかったのですが、

転職情報誌をみるたびに、手に職をつけるコーナーで整体師の所をみてしまい

『興味があるのはやっぱりこっち系だ』と確信したのです。

嫁に相談しました。

嫁はもともと美容師の資格を持っていて自分が職人だったこともあり、

手に職をつけるのは良い事だと思ってくれたようで子供が2人いるにもかかわらず了解してくれたのです。

 

とはいえ、

学校に通う期間は今までのように給料をもらえるわけではないので、

出来る限り空いた時間はアルバイトをしながらの生活が待っており

不安に押しつぶされそうになり、眠れない日もありました。

 

とにかく、嫁の了解も出たので

私は退職金を握りしめて心機一転、整体の学校に通う事とにしたのです。

勉強しました!

30歳過ぎて整体の勉強を始めるのは、正直不安でした。

解剖学・生理学・整体の技術などなど

人の体に触れ、そして歪みを読み取る

全て今までやったことのない事でしたが、不思議と楽しく勉強できました。

学生時代に苦手な科目をイヤイヤやっていた勉強と違い

興味があることなので、不思議なくらいどんどん吸収できました。

しかし、生活費を稼ぐために

あいた時間は義理の兄がやってた土木会社でアルバイトをしながらの生活でした。

ヘルメットをかぶり、スコップを片手に土を掘って、ダンプを運転して土砂を運ぶ・・

それと同時進行で

整体師になるには、もっとたくさんの人の体に触れなければと思い、

マッサージ屋でもアルバイトをしていました。

この頃は、朝早くから夜遅くまで働いて勉強して

自分でもよくやってたと思います。

そんな日々を過ごしながら

整体の学校も卒業が近づいてきたころ、

卒業後の進路をどうするか決めなくてはいけませんでした。

一緒に勉強した仲間は、20代の人が多かったので整形外科や接骨院・整体院などに就職する人が多かったです。

私は、年齢もいってて20代の人と比べると採用も厳しそうでしたので、

妻と相談してイチかバチか自分で開業することにしたのです。

会社勤めだった私は、自分で経営なんてしたことが無かったので、経営に関しても手探り状態で何が正解かよく分からないままのスタートをきることとなったのです。

​2005年5月9日開業!

​奥正範ストーリー